終わりに

僕がある意味死に場所を求めてこの島に来てもうすぐ4年になろうとしています。

今は多くの仕事を任せてもらえるようにもなりました。

しかし、まだスタートラインにやっと立っただけなのです。何年もかけてやっと。

 

どんくん就活記の続きを書くのに、最初は戸惑いもありました。

就活記の終わりは、めでたしめでたし、で終わっています。

おとぎ話で言う「幸せに暮らしましたとさ」というところで終わっているのです。

でも、実際はそこからが地獄だったりするわけです。僕がまさしくそうでした。

 

就活記の僕は、勇ましく見える部分も多かったのではないでしょうか。

それに比べてその後の僕は、話にならないレベルですね。

そんな恥ずかしい部分を人には見せたくない。がっかりさせたくない。

そもそも、自分自身がそんな醜い自分を見たくなかったのです。だから、文章にできませんでした。

 

しかし、人はいいところもあれば、悪いところもある。

かっこいいときもあれば、かっこ悪いときもある。

この場でお話ししたことは、割愛した部分はたくさんあっても、嘘偽りはありません。

これが僕なのです。これが僕で、そんな生き方を選んで、今もこうして生きているのは事実なのです。

 

だから、みなさんに伝えたいのです。

暗闇から、僕は抜け出すことが出来ました。

もしあなたも同じ暗闇にいるのなら、あなたもきっと抜け出すことが出来るということを。

 

しかし、暗闇の中にいる間、誰も僕を救い出すことはできませんでした。

あくまでも、自分の足で立ち上がらなければ、前に進むことなんてできません。

自分の人生を他人にゆだねてはいけないのです。

助けてほしければ、自分で自分を助けなければいけないのです。

僕も、もしあの時、死を覚悟して島に行かなければ、この世にいなかったかもしれません。

もしくは、生きていても自信を失い、ふぬけたままだったかもしれません。

あなたを本当に助けてくれるのは、自分自身であることを知ってほしい。

 

そして、もし、あなたを愛してくれる家族がいるのなら、どうか大事にして欲しいです。

家族はそれぞれ違っているので、もともと仲が悪い家族もいるでしょう。

愛情のない母親もいるでしょう。でも、もしあなたを想ってくれる人がいるのなら、

その人の命を永遠と思わずに、接してほしい。僕と同じ思いをしないで下さい。

 

あなたが、自分の性別を告げられず、もしくは僕のように拒絶をされてしまったとしても、

長い時間をかけて向き合っていくほうへ、わかりあえるように、どうかその歩みを止めないでください。

それは、たやすいことではないのは分かっています。僕が実際そうでした。

しかし、お互いの意見を交わすこともない永遠の別れこそ悲しいことはありません。

わかりあえることを、お互いの終着点を探すことを、どうか諦めないでください。

 

 

そして、最後にもしあなたが死にたいと思っているなら、死ぬのはある意味いつでも出来ます。

その前に、やってみたいことはありませんか?見てみたいものはありませんか?

僕も、何度も死にたいと思いました。ビルの屋上でずっと悩んだこともあります。

それでも、死ぬのはもう少し待ってみませんか?後に残された人間は、

その後の人生ずっとその悲しみを背負って生きていくことになります。

 

僕も、そうです。母が死んだ日のことを、長い一日といっているのは、まだその日が終わらないからです。

あれから4年が経とうとしている今も、目をつぶればあの日が何度も繰り返されるのです。

今まで何百回も同じ一日が繰り返し、繰り返し思い出され、決して終わらないのです。

手を伸ばしても決して届かない背中。夜中に手を伸ばして目を覚ます日が、今でもあるのです。

それが、残された者が受ける悲しい傷跡なのかもしれません。

 

あなたが生きていることが素晴らしいと、思う日がきっと来るのです。

 

 

なんて、また偉そうなことを言いました。僕はそんな偉そうなことを言える立場ではありません。

僕もまた、多くの大切なものを踏みにじって来てしまったのですから。

でも、僕のお話が少しでも皆さんのお役に立てたら嬉しいです。

 

さて、今までの僕の話で性別はどう影響を及ぼしていましたか?

そうです。ほとんど関係ないのです。あなたがどう生きたいのか、ただそれだけなのですから。

もちろん、男として生きていく、というのはそれなりの環境が必要かもしれません。

そのための努力も必要です。性別での悩みも尽きません。

でも、あなたが男として生きていくと決めたのなら、決意はその時でいいのです。

そのために、あなたがどう生きるかで、周りを認めさせればいいのです。いや、自然とそうなるのです。

 

本当に、本当に大事なことは、あなたがどう生きたいか、それだけなのです。

 

では、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

この場を提供して下さったGIDmediaの皆様に感謝致します。

みなさま、また会いましょう。

スタートライン

それから僕は、居酒屋と海の仕事をほとんど休まずに働きました。

訪れる多くのお客様に、たしなめられ、慰められ、教えられ、美しい景色に励まされ、少しずつ僕の心も変わっていきました。

居酒屋の女将さんは、僕をいらないと言った後もずっと怒ってくれて、叱ってくれて、一緒に泣いてくれました。

何度も大喧嘩して、思いっきり蹴飛ばされたり。僕が暗い方向へ間違ったほうへ行こうとすると全力で平手打ちをして元に戻してくれました。

オーナーにも顔が腫れあがるほど殴られて、車から引きずり出されて、ボコボコにされたこともあります。

でも、次の日、湿布を張って包帯ぐるぐる巻きにしてある女将さんの手、オーナーの手を見て、僕はなんて愚かなんだろうと胸をえぐられる思いをしました。

僕は本当に、精神的に幼く未熟者です。

周りに助けられ、環境に救われ、己が無力で、未熟で、こんなにも多くのことを知らな過ぎたのだと気が付いたとき、僕はようやく本当の意味で男として、自分の選んだ生き方としてスタートラインに立てたのだと思います。

海修行

島に来て初めての夏。僕は海の上で仕事をすることになりました。
しかも、僕がマリンスタッフとして働きだしたのは一番忙しいマリンシーズン。

ゆっくり教えてもらえる時間などありません。全て、実践から学びとらなければならなかったのです。
確かに、僕は運動神経が悪いほうではありません。泳ぐことも出来ます。

しかし、シュノーケルと足ヒレを付けて海の中を潜り、息を止めて作業をしたりロープワークをするなんて、思いもしません。

しかも、僕がもたつけば、船はいつでも座礁の危険にさらされます。
海の上では、甘えなど通用しません。出来ませんという言葉はない世界でした。

海の中に潜っても途中で息が出来ず、海水を飲みこんで、鼻水をたらしながらゲホゲホむせかえる。
早くしろ!!と どなり散らされ、恐怖と闘いながらロープを海底に結びつける。

サンゴは見た目はとても美しいですが、実は触ると切れやすく、危険な生物なのです。
触らないように気を付けても、気が付かないうちにどこか切れて血が流れている。

でも、とにかく船を海面に止めるには、自分に託されたこのロープを海底のロープと結び付けなければならない。
どんなに、手がサンゴに触れて血が流れようと、ただ、早く、早く・・・。

ある時には10キロの錘を持ちながら海の中を泳いだこともありました。
錘の重さで体は海底へ引きずり込まれ、呼吸しようと海面に上がろうとしても体が持ち上がらず、
あげく大量の海水をのみ込み、パニックを起こして溺れかけたこともありました。

海の仕事は、華やかでとてもかっこいいものでしたが、その反面、錘やロープをたやすく扱う体力と、
どんな局面でも穏やかな精神を保つことが必要となる常に事故や死と隣り合わせの仕事でした。

あんなに、死にたいと思っていた僕なのに、錘に引きずり込まれて、海水を飲みこんで溺れそうになった時に「死にたくない!!」と強く体が反応していました。なんだよ、本当は死にたくないんじゃないか・・・。

そして、そんな状態だからこそ、自分の中に「生きようとしている力」がこんなにあるのだということを強く思い知らされました。

また、海での呼吸の方法は僕に心の安定を教えてくれました。
海の中で、いかに長く息を止めていられるかというのは、いかに酸素を使わないようにするかということです。

息を止めてから、頭で色々考えるとそれだけで酸素を脳で使い、実際の行動のための酸素が足りなくなります。また、不安や恐怖で呼吸が浅かったり、動悸が速かったりすると、やはり息はもちません。

頭の中をきれいに整理して、イメージを固め、常に安定した精神であること。
海の中で最小限の思考と行動で作業を行うためにはそれがとても大事なのです。

 

こうして何度も、溺れかけ、傷だらけになって、それでも、少しずつ心を安定させることを学んでいきました。

 

夏が終わるころ、僕は居酒屋でも人が変わったように仕事が出来るようになりました。
周りのみんなも僕が変わったと評価してくれるようになりました。

そして気が付けば島に来て1年が経とうとしていました。