新高校生みはるちゃん

筆者:みはるちゃん (MTF/15歳)
2014年春から高校生になるみはるちゃん(MTF/15歳)の、自分が男である性別への違和感との出会いから、治療開始までの様々な苦労や苦痛の体験。そして、これからのMTF高校生活体験記。

<目次>

幼稚園〜小学生編

私は1998年生まれで父と母の3人暮らし。

幼稚園の頃、周りの男子は仮面ライダーなどが好きだったみたいですが…、私はそうではなく、「おままごと」や「お母さんごっこ」などが大好きでした。基本的に女子グループの中にいた存在で、枠組みの中では、普通に女子として生活していました。

小学校に入学し、ランドセルの色は黒…。でも、緑のランドセルを使っている女子がいたので、気にはしたけれども、まあそんなものかと思い、6年間「黒いランドセル」で通い続けました。

低学年のうちは、特に男女の枠組みというものはあまりなく、プールも多少気になったものの、着替えが男女一緒だったので、特別なにも考えませんでした。
その頃までは、普通に女子グループとして扱ってもらっていましたが、学年が上がるに連れて、徐々に男子としての生活を強いられるようになりました…。

高学年になって「髪を伸ばしたい」と親に相談をしました。しかし、「あなたは男だから」と言われました。自分の中身は何か違うと思いながらも 『私は男として生まれた以上、男として生きていかなければ』と心に言い聞かせていました。

プール授業の着替えが男女別れるようになりました。そのことによって「私は男である」と何度も考えるようになり、 わけがわからなくなりました。でも、親友の支えがあったので、その子と一緒に入り続けていました。
一人称が『うち』だったので、周りからは「オカマ」などと言われていましたが、その頃は笑って誤魔化していました…。

修学旅行では男女別のフロアに分けられ、別フロアへの行き来も制限、お風呂も時間を指定されました。「私は女なのに男のフロアにいなきゃなのは何故?」と思いましたが、口には出せず笑って過ごしました。修学旅行は決して楽しい思い出ではありませんでした…。

ちょうどその頃、モデルの『佐藤かよ』さんのカミングアウトがテレビで放送されていて、「私もこれで間違いない」と思い、夜中にインターネットで調べたら『性同一性障害』という言葉を知りました。

しかし、それを知ってもどこでどうすればいいのかが分からず、専門医がいることを知れただけで、専門の病院に行くためのお金はないし、保険証も親の管理下にあったので行くことは出来ませんでした。

中学生前編

中学生になり、「学ラン」を着ることになりました。私は、学ランを着ることが、毎日男装をしているように感じていました。 自分の姿を鏡で見るたびに、「私はなんでこんな事になっているの…?」と思い、どんどん男を演じていくことへの苦痛を感じました。

正直セーラー服が着たくて仕方がなかったです。それでも、着たいと言えるような状況でもなかったし、「三年間どうにでもして耐える」と決めました。

自分の中では辛くて仕方が無かったのですが、 親に相談することも出来ず、女を隠して三年間過ごすことを決めて、入学しました。始めはよかったものの、無意識のうちに仕草などで女が出ていて、気がついたら周りから「オカマ」と呼ばれ、いじめられるようになりました。

「オカマ」と呼ばれるだけだったいじめも次第にエスカレートしていきました。
私がトイレの個室に入ると、扉の前に人だかりができるようになりました。最初は10人ほどが大騒ぎしていましたが、最終的には20人を超えていました。

もちろん、それだけで留まることはなく、トイレの個室の壁を登って上から覗かれたり、上から水や殺虫剤をかけられたりしました。仲の良かった女の子が先生に報告してくれたものの、いじめが収まることはありませんでした。

その子がずっと助けてくれていましたが、いじめに巻き込まれてしまい、不登校になってしまいました。その子にお礼を伝えたかったのですが、卒業式に来ることもなく、進学先もないままやめてしまったそうです。

私はその話を聞いた時、どうすることもできず、どう償えばいいかということを考えて考えて、死のうとしましたが、「このまま男としては死ねない」と思い、現在まで生きています。

中学校でもプール授業があり、プールに入ることが生理的に受け付けられず、初めは忘れ物したという言い訳をして逃れていました。しかし、先生に「サボると成績を1にするぞ」と言われたり、親に電話がかかってくることもありました。

本当の私を隠すためにいろいろな手を使いましたが、隠すことは自分にも周りにも嘘を付いているようでとても辛かったです。

そして、修学旅行に行く時、大泣きしながら親に「行きたくない!」と頼み込んだものの、 無理やり引っ張って連れて行かれました。お風呂は人がいない時間を狙って、角でこっそりシャワーを浴びていました。なんとか2日過ごしましたが、決して楽しくはありませんでした。

同室の子とは、カードゲームなどをして盛り上がりましたが、消灯時間を過ぎたあとに、連日行われた「恋話」、そして、詳しくかけませんがいわゆる「動画」の話題になった時には、正直気持ち悪かったし、「ニューハーフ」の話題になった時はわけがわからなくなりました…。

今振り返ってみて、女子として修学旅行に行きたかったし、もっとはじけたかったです。 でも…それはそれでたのしかったし、中学生男子の人たちの心のなかを知れたのは知れたので幸せだったかな…。

中学生後編

15歳になる誕生日の一月半前に、突然声変わりがやってきました。私はそれが嫌で止めたくて、急いでインターネット上から女性ホルモン剤を個人輸入しました。
親にバレないように局留めして受け取り、飲もうと思いましたが、親や将来のことが頭をよぎり、すぐには飲む決断ができませんでした。

2週間が経ち、ちょうど誕生日の1月前の日。私は泣きながら女性ホルモン剤を飲みました。ホルモン剤を飲んで、「これで戻れる…」と正直ホッとした面もありました。

でも、同時に私が産まれた時に祖母が言っていた「やっと跡継ぎが産まれた」という言葉や、父親から言われていた「跡継ぎはお前しかいないんだから」という言葉を思い出し、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

誕生日プレゼントにお金をもらい、親には秘密のまま、縋るような思いで、ジェンダークリニックへ向かいました。ジェンダークリニックの先生に今までのことを全部話をして、親にどうカミングアウトをしたらよいか助けていただきました。

そして、親にカミングアウトをすると「絶対にあり得ない!お前は男としてしか感じられない」と言われました。母親も「ありえない」の一点張りで、最初は全く聞いてくれず、家で性同一性障害の話題を持ち出すたびに家で大喧嘩になりました。

とにかく先生の話だけでも聞いてほしいと頼み込み、次回の通院時に父についてきてもらいました。初めは理解してくれませんでしたが、徐々に理解を示してくれるようになり、

「本当に女として生きていく覚悟があるのか?」
「副作用の覚悟はできているのか?」
「20歳になるまでは親戚に口外しない」

などの条件付きで2014年3月にホルモン注射を承諾してもらうことができました。

春から高校生へ
高校は今まで縛られていた制服の縛りのないところが良かったので制服のないところを選びました。この記事を執筆している2日後に入学式なのですが…とっても楽しみです☆
なんか…新しい私になれるかなと思ったり、楽しみです☆

これからも、高校生活で感じたこと、起きたこと、それについての対処など、美遥の高校生活を引き続き綴っていきたいと思います☆


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