虚無の日々

正直、それからほとんどの記憶が曖昧です。断片的にしか思い出すことができません。

ただ、遺品を整理したら、たくさんの性同一性障害に関する書物が出てきたこと、NHKの性同一性障害の番組も全てDVDに録画されていたこと、僕が知るよりずっと長いこと僕のことで悩み、関連団体などにも相談の手紙を書いて送っていたことなどがわかりました。

僕の今までの行動がいかに愚かで、間違っていたことか・・・。
何が、母を守るために嘘をつくだ。僕は何一つ守ることが出来なかったのです。

母の死後、初めの半月は、まるで何もなかったようにただ仕事に打ち込みました。
兄と一緒にお笑いのDVDを借りて面白くもない内容に、笑い転げて休日を過ごしました。
事実に心が追いついていかなかったのでしょう。実感がわかなかったのです。

 

ところが、気が付いたら、心がすっかり壊れていました。飛び込み営業の仕事は、一日の大半は外にいます。
そして外にいる時間、ただ母のもとに行くことだけを考えるようになりました。
人も、建物も、歪んで見えました。全てが敵に見えました。
営業に行く途中、駅のトイレに何時間も閉じこもることも多くなりました。
何時間もかけて、仕事をしなければならないと自分を説得して、説得して、やっとトイレから出て、それから飛び込みで営業を行う。そんな日々が続きました。

心にぽっかり空いた穴は、日増しに大きくなっていきました。
僕の顔は、大きくゆがみ、兄に「なんだその顔は!?」と驚かれたこともありました。

そして、僕は母の死後1カ月後に、休職をしました。

しかし、仕事を休んで実家に戻ってからが虚無の始まりでした。
毎日、実家の部屋中を歩き回って母の名を呼び続けました。突然、発狂したように叫ぶこともありました。
実家の部屋中の写真を撮って、母の霊を探しました。

布団から起き上がれず、寝たきりにもなりました。ただ、ただ、泣いて1日を過ごしました。
振り返れば、その時の1日は通常の数時間くらいで終わるような早さでした。
気が付けば夜になり、そしてすぐ昼になり夜になる。そんな日々をただ横になり眺めていました。

 

GIDmediaの二ノ宮さんたちは、母の葬儀にも参列して下さり、休職までしてしまった僕を心配して、色々と外に連れ出してくれました。家に呼んでくれたこともありました。

たくさんの言葉をかけてくれました。それでも、その時の僕には誰の優しい言葉も、厳しい言葉も、全く聞こえていませんでした。悲しみのループの中にいる僕に、周りは次第にいら立つようになりました。

自分の足で立つことをやめた僕に、誰の手も必要ありませんでした。
僕は、次第に二ノ宮さんたちにも距離をおくようになりました。
「助けれてくれ!助けてくれ!」と叫びながら、何から助けてほしいのか、全くわからない状態。
「いつまでもそこにいると、帰って来られなくなるよ」と忠告も受けましたが、どうしようもありませんでした。

もちろん自分でもこのままではダメだと感じていました。
でも気持ちと裏腹に体は重く動こうとしない・・・。いや、本当は心も前を向いていなかったのかもしれません。

しかし、そんな中、休職期間満了をもって仕事に復帰することになりました。